なんでもない話がしたい
「フリーでイラストレーターをしています」
初めて誰かと会う時に、私が口にする言葉の一つです。
始めた当初は自分がイラストレーターと名乗るなんて恐れ多くて、だけど名乗らないことには始まらない!と思い、内心ビクビクしながらもそう伝えるようにしていました。
今でもやっぱり少しどきどきするのですが、何度も繰り返してきたことで慣れたのか、前よりはさらりと言えるようになった気がします。
ありがたいことに、肯定的に受け止めてくれる方が多く、応援していただいたり、作品を見て褒めて下さったり、心が温かくなるような言葉をかけていただいたりします。
人の温かさに触れて、本当に嬉しい気持ちになります。
もっと色々なものを表現していきたいなと、私が進んでいく原動力になっています。
その一方で、時々寂しさと哀しさを感じることがあります。
それは、冒頭の一言を口にした途端、何だか距離を置かれてしまったり、逆に求めていないのに上から目線でアドバイスをされてしまったり、対等なコミュニケーションが取れなくなってしまうことです。
先月、駅構内を歩いているときに、女性2人組に声をかけられました。
この辺で飲みに行くのに良いお店を知らないか、とのことだったのですが、その時に流れでイラストを描いていることを話すと、片方の女性が美大出身だということで盛り上がり、翌日に会うことに。
美術関係の学校を出ている友達がほぼいない私は、新しくお友達ができるかも!とわくわくしていました。
しかし、いざ会ってみるとなぜか求めていないのにアドバイスをされたり、面接のような質問攻めにあったり、思っていたのと違いすぎて混乱。
どうにかしようとしたものの、楽しい会話なんて全くできず、終始責められているような気分に。
そこには対等なコミュニケーションなんてありませんでした。
私はただ、仲良くなりたかっただけで、お友達になりたかっただけで、アドバイスをして欲しかったわけではないのに。
彼女の方はそうとは知らず、「私の方が色々知ってるから何かしてあげなきゃ!教えてあげなきゃ!」という気持ちだったのかもしれませんが…。
その時は何をどうしたら楽しく過ごせるのかわからず、ただただ混乱していたのですが、「私は友達になりたいと思っただけで、アドバイスが欲しくて来たんじゃない」ということをそのまま伝えればよかったな、と帰ってから後悔して落ち込みました。笑
ビジネスの話をする場やそういった交流会、自分がアドバイスを求めた場合は別ですが、そうではない場で、自己紹介の一言でビジネスの話だけしかできなくなってしまうのが、何だかどうしようもなく哀しくなりました。
仕事の話も面白くて好きですが、それだけじゃなくて、好きなものとか、好きなこととか、幸せを感じる瞬間とか、些細で身近なことも話したい。
その人がどういう人か知りたい。
そういう人の価値観や人柄は、なんでもない話から見えてくるんじゃないかなと思います。
あとは、単純に私がまじめな話ばかりだと疲れちゃうというのもあります。笑
まじめな話も好きだけど、なんでもない話をして、ちょっと気を抜いたり、意外な一面を発見したり、親近感が湧いたり、そういうのが好き。
すごくしっかりしてそうな人のうっかりミスの話とか、学校の先生の授業とは関係ない脱線した話とか、セミナーで講師の方が話す余談とか、そういうのが好き。
作りこまれた余所行きのものじゃなくて、その人らしさが見える瞬間が好きなのかもしれません。
仕事で落ち込んだり、腹が立ったりした時も、誰かとちょっとした雑談をするだけで、何となく気持ちが晴れて、切り替えができたりします。
そういうなんでもない話をするのが私は好きで、それにいつも救われているという事に気付きました。
だから、それができないのは寂しいし哀しい。
そもそも初対面でそういう反応をされる人とは、縁がなかったということかもしれないので、気にする必要はないのかもしれませんが。
先月から度々続いて、寂しさと哀しさに襲われて結構心がダメージを受けたので、なんでかなあと考えて結論に至りました。
このマグカップどういう意味だろうとか
実家のたわしから芽が生えてたとか
お昼にカスタードのシュークリームがすごく食べたくてコンビニ3軒とスーパー1軒回ったけど見つからなかったとか
なんかそういうどうでもよくてくだらない話がしたい。
なんでもない日常の話。
一見無駄で意味のない話であっても、それが意外な効力を発揮したりすることがあります。
前にダンスの仲間と飲み会をした時、何を話したか全く覚えてない位本当に中身のない話しかしなかったのですが、たくさん笑って楽しく過ごして、家に帰ってから仕事をしたらすごくはかどりました。笑
私、人とのコミュニケーションに飢えてるのかなあ。笑
その辺も含めて、私はどういう生き方がいいのか、今一度考えて選ばないとな、と思っています。